本庄貯水池(本庄(ほんじょう)ダム)

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本庄ダム・主堤体
本庄ダム・主堤体

撮影機材 キヤノン製デジタルカメラ パワーショットS30

 本庄ダム(本庄貯水池)は歴史のあるダムです。戦前、呉には海軍鎮守府が設置されたため、そこで必要となる水を供 給するため、明治22年9月に呉鎮守府水道が設置されました。これは近代水道では横浜についで国内2番目だそうです。ただし、これは一般の住民には供給されませんでした。
 増大する呉鎮守府の水道需要に対応するため、大正時代に、本庄貯水池が建設されました。大正7年に竣工。完成当時は東洋一の規模と言われたそうです。また、本庄貯水池完成によって、一般市民にも水道が供給されるようになりました。
 主堤体は重力式コンクリートダムですが、この貯水池、かなり複雑な構造になっており、放流設備は堤体からかなり離れた場所にあります。また、貯水池を囲む部分の一部がアース式の堤になっています。なお、堤体に近づく道路は立ち入り禁止でした・・


本庄貯水池・現在の様子
本庄貯水池・現在の様子


本庄貯水池・建設前推定図
本庄貯水池・建設前推定図

 本庄貯水池は複雑な構造をしており、二河川(にこうがわ)本流は貯水池に流れ込まず、貯水池の横を流れています。普通、ダムは本流をせき止めており、本流の水が直接貯水池に流れ込んでいますよね・・それで、昔のことを知らなかった時は、山の窪地にダムを設置して、二河川本流から水路を通して貯水しているのだと勘違いしていました。
 呉市の歴史を調べて分かったのが、下の建設前推定図です・・本庄ダムは二河川本流に設置されていた・・では、今の二河川は何だ?と思うが、実は別に水路を設置して転流されたのです。主堤体に洪水吐を設置できなかったのか、放流設備は、別の場所にあり、自然越流するようになっています・・小さなゲートもあるけどね・・

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